夏セミンゴ2018

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Chapter.10 Culture - ケース例 "TH opposes sympathizing and humanizing portrayals of Nazi soldiers"

全然関係ないんだけど、サムライチャンプルーの"Shiki no Uta"ってムッチャいい曲よね。まぁサムライチャンプルー見たことないんだけど。

 

www.youtube.com

 

TH opposes sympathizing and humanizing portrayals of Nazi soldiers

 

はい、これもまた日本人に馴染みのないモーションですね。ただ、ヨーロッパの大会ではちょこちょこ出るイメージがあります。

日本でもnaziモーション/holocaust denialのモーションはたまに出るので、一回理解しておきましょう。

 

このモーションは国内では初めて見た気がしますが、nazi関連のモーションは他に

THW ban holocaust denial(Tokyo Mini 2012 GF)が古典として有名ですね。

ホロコースト否認 - Wikipedia

 

あとはちょっと変わったモーションですが、以下のようなモーションもあります。

Instead of creating a Jewish state in the British Mandate of Palestine, with the benefit of hindsight This House would have created a Jewish State in Germany.(Cambridge IV 2013 SF)

 

んで、これまたぱっと見argumentが思いつきづらそうですが、argumentを考える前に以下の要素が何か?を考えましょう。

 

(a)sympathizing and humanizing portrayals

 

これは特段ジャンルはないですが、一番想定されるのは「naziとは言え、彼らも組織の一人で、心を持った人間だった」というnarrativeでしょう。あるいは「ヒトラーが全部悪い、あれは過去のことって言われてるけど、側近も悪かったんじゃないの?」とか。

または(やると世界中で叩かれますが)naziのコスプレをしたりするのも、非人道的なナチというイメージではなく、一般的な公空間にナチを存在させる行為ですね。

 

橘玲の世界投資見聞録 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

 

ドイツ、ナチス、ヒトラーと歴史修正主義の愚 : ちゃんばらーじゅん

 

(b)Nazi soldiers

 

これもどこまで含めるかっていうのはありますが、基本的にはヒトラーゲーリングなどのトップではなく、一兵隊のことを指すのではないかと思います。

アドルフ・アイヒマン - Wikipedia

ローフス・ミシュ - Wikipedia

 

んで、今回はベースとしやすいので、Oppから考えることにします。

naziに対しての現状、及びsympathizing and humanizing portrayalsがどういうpositiveなeffectをもたらすのかを考えましょう。

 

naziに関しては上記のホロコースト否認に対するドイツ、ヨーロッパの態度により、かなり厳しい態度を取られています。

言えば、naziは絶対悪でとにかく擁護のしようのないもの、あれは極悪で我々はあれと断絶しなければならない。一切の擁護は許されないという拒絶です。

 

まぁナチのやったことを踏まえるとそうなるのは理解できます。

しかしここで問題になるのが、彼らに擁護の余地があったとしてもボコボコにされてしまうと言うことです。現状で、naziをいかなる方法で擁護する人はfar-right wing、またはネオナチと判定されてしまう可能性があります。

これは想定ですが、日本でオウム真理教を擁護する人が受ける扱いに近いかと。

 

ほいで、こっからがOppの議論ですが主には2つあると思います。

(1)そもそもヒトラーの部下であるというだけで、disproportionateな扱いを受けるべきではない。全ての人には人として扱われる権利がある。

(2)ヒトラーは別物で巨悪、naziは我々とは違う人だという認識が、次のナチズムを産むことにつながる。

 

(1)に関しては、ヒトラーの部下であるsoldiersが戦時下どういう状況であったかということを考えましょう。

彼らは当然多くのユダヤ人やLGBT、障害者を殺しました。その責を受けるのは当然でしょう。しかし、その中でも彼らが許される点は十分ありうるわけです。例えば、

a.本当に殺したかったわけではないけれども、命令に歯向かえば自分も拷問を受けて殺されていたかもしれなかった。

b.ヒトラーの「国を守るため」という奇跡のような演説に感化されてしまい、彼に従うことが国を守ることだと思わされてしまった。

c.戦争に負ければイギリスやアメリカの軍に自分の友人や家族を殺されていたかもしれない。戦争に勝つためには指揮官の命令に従うことが唯一の方法だった。

などです。

 

つまり、現代の民主主義において、人は自分が悪いことをした以上に責められるべきではないのに、上記の理由などは一切考慮されず、nazi soldiersはcold bloodedな極悪非道と扱われてしまうわけです。

これはそもそも人の扱いとして不当ですし、昔nazi-soldierだったドイツ人が今でも不当に責められる原因となります。

これは単純にハームですし、principle的にも間違っています。

 

一番わかりやすいanalogyはCriminal Justice systemのproportionalityかと思います。

人には生まれながらの基本的人権があり、それが奪われるのはその人が悪いことをした分だけです。nazi-soldierが必要以上に責められるのを防ぐportrayalは、justifyできると言えるでしょう。

 

(2)については、現在のコンテクストも踏まえて立てるとより強くなるかと。

基本的には、特にヨーロッパなどではイスラム教の自爆テロや移民による(超主観的な)自国への悪影響も合間って、排斥主義が強くなっています。Brexitが良いexampleでしょう。その中で、未だに移民をsecond-class citizen(二級市民)と思って生きてる人もいます。

ここでnaziの話に戻りますが、hitlerやnaziの扱いで問題なのは彼/彼女らを完全に「通常の人ではない」という扱いをしていることです。

しかし、歴史を振り返ればわかるように、ヒトラーを選挙で選び、nazismをsupportしたのは、そのhitlerに使えたのは「普通の人」でした。

上記でもあったように、法廷に現れたアイヒマンが巨悪ではなく、あまりに普通の人間で周りがびっくりしたというのは有名な話です。

 

これを踏まえると、nazismを特別扱いし、自分たちの歴史の一部ではなく断絶したものとして扱うのは問題があります。

あくまで彼らを「間違いを犯した普通の人間」として今の人たちが認識し、それに加えて「自分たちと同じ人であり、自分たちも簡単にそうなりうる」と考えることが大事です。そのためにはまず、彼らが哀れみの対象である人間と認識し、自分たちが他の人を見るのと同じ目線でnaziを考えるのが大事です。これによっていかにnazismが悪いかだけではなく、いかに普通の人がnazismを簡単にsupportしえるか、それをきちんと認識できればその問題にも対処できるでしょう。

https://www.philosophersinamerica.com/2017/10/31/humanizing-monsters/

 

それに対しての、Govです。

 

(1)nazismを一部でも許してしまうことにより、同じような行動を許容してしまう。

 

まぁargumentはいくつかに分けられるかもしれませんが、ベースは上記のようでしょう。中身としては、極端にゆるく言えば「まぁnazi soldiersも人やし、多少間違いは犯すやろ。しゃーない」ってnarrativeやportrayalが許容されれば、今後nazismと似たような行動が起きても、それが許容される余地を作ってしまうと言うことです。

 

特に、nazismは現在で消滅したideologyではありません。ドイツ東部で活発に活動するneo-naziや、一般人の中にも相当minorityではありますが、nazismをsupportする人はいます。

Nazis Are Just Like You and Me, Except They're Nazis - The Atlantic

 

また、極右の歴史修正主義者(histrical Re-visionist)には、ナチはそこまで悪くなかったと言う言論を広めようとすることで、自分たちの活動や思想をより社会的に許容されるようにしようと目論む人もいます。

言えば、上記のportrayalやnarrativeは(Oppが良い目的で使われると言っても)abuseされる可能性が大なわけです。

 

また、世の中みんなが良い人であれば「いくらfar-right wingがnazismを唱えたところで、普通の人はそれが悪いことって分かってるでしょ?ちょっとくらいネオナチがイキったところで、影響ないよ。」って言うかもしれません。

しかし残念ながらドイツでも移民排斥の政党が躍進しているように、nazismと思想を近くするものは今増えているのです。その時に「移民を多少酷く扱っても、最悪海に追い返して死んでもしょうがない。あいつらは危険なイスラム思想で国を乗っ取ろうとしている悪だろ?我々は実は正義なんだよ」なんて思想が蔓延ったら困るのです。

 

なので路線としては、nazismを必要以上に悪と唱えたとしても、それによってnazismと同じような思想、例えば移民やLGBTを二級市民として扱い自分たちのethnic identity(あるいはwhite supremacy)を優位に置くようなものは絶対悪として人々に認識させ、それから距離を置くように行動させるべきです。

Oppがproportinalityとかほざいてきたら「そもそも彼らがやったのはただの犯罪ではなく、genocideであり、そのままドイツが勝利すればユダヤ人を滅ぼしかねなかった行為だ。現在のひどい扱いが本当だったとしてもproportionateだし、仮にdisproportionateだったとしても、それはnazismやそれに類する思想、現在で増えつつある思想を広めないためには、nazismをdisproportionateにabsolute evilだと唱えることが重要なんだ」と言いましょう。

Oppは「portrayalによって、人々はdecentにそれを受け取り、必要なrespectをex-nazi soldierに払う」というでしょうが、Govは「そのportrayalやnarrativeは一部の人々にdispropotionately amplifyされ、abuseされる」とrefuteしましょう。

 

ここで、そのnarrativeがどう人に受け取られるかは、1つのclushになるでしょうね。

戦後、元ナチスたちがアメリカでのうのうと暮らせたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(490)】 « 榎戸誠の情熱的読書のすすめ 

 

そんな感じかな!

じゃあの。