Chapter. 10 Culture - ケース例"THW redirect all state art funding for reproduction of classic works of art into new works of art"
とりあえず書いた方はいいけど、どれのジャンルにも入らんので、適当にcultureをでっち上げてそこに入れました。
いつか概論を書こうとは思いますが、cultureって何書くんや・・・
THW redirect all state art funding for reproduction of classic works of art into new works of art(Oxford IV 2009 R3)
Art=直訳は芸術。絵画、音楽、映画など諸々含めて広めのdefinitionにしましょう。
Classic=オペラ、歌舞伎や能、水墨画等
new=ポップミュージック、現代美術、コンピューターを用いた音楽(初音ミク)なんてのも。
Gov
(1)what is the purpose of funding art.
(2)given the purpose of funding art, why funding should be reallocated from classic to new art.
(3)how this policy flourish new art
(1)what is the purpose of funding art.
このdebateでは、Gov/Opp共にartにsubsidizeします。なので、政府がartにfundすることはconcensusとなりますし、どちらかが「なんでそもそもfundするの?必要なくない?」って言うことはないかと思っています。しかし、そもそもartにfundするベースの理由を考えておかないと、「それに基づいてどうfundするか」ってのが議論できないので、根っこの「stateがartにfundするそもそもの理由」をまずは考えて見てください。
Artにfundする理由は、基本的には政府が推進する芸術・文化保護のためです。大きく言えば「自国民に取ってimportant cultureを発展させ、重要なものを保存・継承することで後世にまで受け継ぐ」ことでしょう。
ここでは、通常の市場原理の状態をまずは頭に入れて欲しいです。
絵画や音楽、映画などの「商品」は市場原理(market mechanism)によって発展し、その中で選ばれたものが残り続けます。映画を例にとると顧客が面白いと思ったものが流行って、多くの人が映画館で映画を観ます。SNSなどで拡散されてさらに人気が出て、興行収入が上がります。
それが名作と認定されればDVDやデジタル配信などの方法で記録され、残り続けます。昔の映画などで言えば「ローマの休日」などが該当するでしょう。逆に人々に「感動しない、面白くない、重要ではない」と認識されてしまうと売れないですし、デジタル配信などにも選ばれません。netflixのラインナップにも乗らないので、人々からは忘れ去られてしまうでしょう。
政府が介入しなければ、芸術・文化の発展と継続は市場原理によって、言えば「人気」によって決められます。
これは市場原理・及び民主主義的な発想とも一見うまく結びつきます。人々が望むものが人気を得て、市場原理の淘汰によって生き残って、多くの人々に行き渡る。ファーストフード店や化粧品と同じですね。
政府がfundをするとなると、必ずfundするジャンルを選ぶことになります。それを選ぶのは専門家であったり、学歴の高い官僚であったり、美術関係の大学教授だったりします。選ばれるのはclassicな音楽などのハイカルチャーな芸術がメジャーになってしまいます。すると、国民の意見ではなく一部の人々が「これがfundすべき良いアートだ」といわば決めつけを行なってしまうことになります。下手に政府が「この芸術は良いものだ!みんなが楽しめるように税金を投入しよう!」と国民に価値観を押し付けるのではなく、あくまで人々の好みによって絵画は繁栄を得るべきだと。
このargumentはartにfundするモーション、例としてTHW no longer fund arts(秋ティー 2016 GF)などでも使われる考え方です。
しかし、市場原理によって全てがうまく行くわけではありません。ここでは、市場原理によって起きる問題点をそれぞれ発展と保存の観点から見て観ましょう。
(A)発展について:
芸術を収入源とした際の難しさとして、収入の不安定さが挙げられます。
一般的なサラリーマンを考えてみましょう。彼らの給与は月ごと、あるいは年間でおおよそ決まった額が決まった時期に与えられるため、安定した収入が見込めます。仕事が一定のペースで会社に利益をもたらすため、給与も安定しやすいのです。
それに対して、映画の収入や芸術家の収入は費用がかさむにも関わらず、相当不安定になりやすいです。まず、膨大な初期投資がかかります。音楽を考えると、音楽教室に通う費用から高価な楽器を購入・メンテナンスする費用がかかります。音楽学校に通う費用などまで含めて初期投資がかなりかかるのに、自分がそこで成功する保証はありません(音楽家にお金持ちの家系が多いのは、これが理由でしょう)。最初のうちは儲からないため、継続して芸術を続けるのが難しい状態が続きます。一発ヒットが出れば良いですが、いつ出るかは分かりません。
すると市場原理だけでは、一定数の人々が芸術家を志すには適さない環境が生まれてしまいます。
不安定な環境は芸術を志す人へのdisincentiveになってしまいます。
そこで政府のfundがあれば、new comerに対しての安定的なsupportができます。売れない画家に対して一生supportをするのは無理ですが、一定期間であれば生活のsupportや学費のサポートができるでしょう。これによって市場原理をsuppleすることができます。
(B)保存・継承について
過去に一旦成功し、文化的に重要とみなされたものでも、継続的に反映するわけではありません。
現在多くのclassic work(オペラ、能、歌舞伎)がstate fundを受けています。これらは歴史的な背景やその表現方法、諸々が重要とされていますが、一般大衆がそれを理解していない可能性があります。
美術などを一定程度勉強した人からすると「非常に面白い。また、今後の芸術家が参考にすることでより良い芸術を作り出すことに寄与する」ってなるかもしれないんですが、一般人がそれを分からずに、単純に「あれ話進むの遅いし、ぶっちゃけおもんなくない笑?」ってなる可能性はあります。
すると観客が減ってしまうので、事業として続けることは難しくなります。
また、景気などの影響も受けます。例えば国が重度の不景気に陥って人々の所得が下がった時、芸術は生活の必需品ではなく、贅沢材のため、一番最初に支出から削られます。すると歌舞伎を行う団体が儲からなくなって破産、歌舞伎を誰もやらなくなるとします。
するとその知識や技術を伝承する場がなくなってしまうので、その後10年後に景気が復活しても事業を復活させることは非常に難しくなります。
そこで政府のfundがあれば、市場原理、言えば景気の問題や一般大衆の「面白さによる人気投票」の問題を避けることができます。一般大衆による鑑賞料が足りなくても政府が補填することで、文化が継続し、現代の芸術家がそれを継承して発展させることでより素晴らしい芸術を生み出すことに繋がります。
(2)given the purpose of funding art, why funding should be reallocated from classic to new art.
上記を踏まえて、fundがなぜ全てnew artに行くべきなのかを論じます。
ただ、new artに行くべき理由は上記で書いたので、どちらかというと「なぜclassic artがfundされるべきでないか」という方に注目しましょう。
Govとしては
(A)new artに比べてclassic artはすでに一定の知名度、名声を得ていて顧客を集めることができる。
(B)仮に事業継続に必要なだけ収益を上げれないとしたら、それは国民から「文化的に重要である」と思われていない→潰えたとしても競争原理の一環である。
(C)これまで無数に存在してきた中で、一部のclassic artだけが重宝されるのはarbitraryである。明確な根拠はない。
等になるかと。
特に(B)と(C)は使えるかと思っていて、「文化的に重要」というのは、なり曖昧な、subjectiveな定義です。
かつ多くの場合文化的に重要などという基準を決めるのは、年寄りの、男性の権威が多いです。
その業界内では一般常識かもしれませんが、世間一般からすると保守的で、市民感覚からはかけ離れた価値観で決められている可能性も高いです(この議論はsupreme court judgeやjuryが絡むMotionでもよく出てきますね)。
その人たちは歌舞伎や能を「文化」と認めても、ニコニコ動画は文化とは認めないかもしれません。
すると、ごく一部の人々しか理解できない「芸術・文化」というものは、一般大衆の血税を使ってまで守る価値のあるものではない。って感じかと。
それよりは、stateは今後出てくる不特定多数のnew artにfundすべきだと。
実はこのスタンスはnew artをprioritizeしてるように見えますが、特定のart(classic artですでに重要と認定されているもの)をsupportするよりは、Artの対してはneutralなstanceを取っています。
新しいアートが出てくることはサポートするが、それ以降生き残るかは市場原理に任せるってstanceですね。
個人的には特定のvalueに対するstate interventionはしない方が好きなので、このstanceは好きです。
Opp
ここで、Oppは自分たちのstanceをきちんと考える必要があります。new artには一切fundせずclassic artにしかfundしないっていうか、あるいはnew artとclassic artの両方に半分ずつfundするか。今回は両方ともfundするというstanceにしようと思います。
(1)what is the purpose of funding art.
(2)given the purpose of funding art, why all funding should not be reallocated from classic to new art.
(3)how this policy destroys culture by demolition of classic works.
(1)what is the purpose of funding art.
はい、上と全く一緒です!Govが喋らんかったらちゃんと喋りましょう。
(2)given the purpose of funding art, why all funding should not be reallocated from classic to new art.
ここでは両方ともfundするというstanceを取っているので、new artにfundすることはお互いにuniqueではありません(当然額は違うので、そこはGov有利ですが。)
どちらかというと上に書いたように、classic artにfundすべきかどうかという点がclushでしょう。
ここでは、文化的に重要というのが老人の戯言じゃないという路線でargueしましょう。
文化的に重要と見なされるものは以下のことを一般市民に与えます。
当たり前ですがclassic artは昔に描かれたものが多いので、New artに比べてその技法から人々に与える印象から、全てが違います。また、それが絵画であれ彫刻であれ歴史的な背景をベースに制作されたものが多いので、それについても知識・教養を一般人にも、美大生にも、研究者にも保護、拡散することができます。自分の生まれた国がどういう経路を辿ってきてここに至っているのか、その結果がidentity形成の一部となることもあり得ます。
つまり、fundによってこれらの絵が保たれていたり、美術館に安い料金で入れることで、一般大衆がこれらのartに触れることができ、それに対して教養を得たり、単純にその美しさに感動するとともに芸術の重要性に気づくことができれば、fundする価値はあるでしょう。
結論として、Oppとしてはmarket mechanismをsuppleするためにnew artにもsubsidizeするけど、cultureを守るためにclassic artもsupportすると言いましょう。
上のようにclassic artは何がuniqueなのか?ってのをきちんと議論して、それがstate fundのcriteriaに当てはまると言いましょう。
上記のargumentを押さえておくと、artやcultureのmotionについては結構応用が聞くんじゃないかと思います。
これらのベースに加えて、よりargumentを深めたい、extentionに繋がる何かが欲しい!って人は
「上に出てくる、cultureってなんですか?」
ってのを考えて/調べて見てください!
あとは、以下のページにエリート主義のハイカルチャーの問題や、fundによるmoral hazardの問題、真面目な音楽と娯楽音楽の序列の問題などが書いてあります。上にあげたやつ以外にもmatterとして使えそうなやつがそこそこ書いてあって、7ページでそんな長くないので、ぜひ読んで見てね!
http://kakeiken.org/journal/jjrhe/79/079_05.pdf
そんな感じかな。
ノビス出た人はお疲れ!
じゃあの。